今回お話いただいたのは今年のインターハイ出場を果たした近江高等学校柔道部の向江村和也監督。
インターハイ連続出場の柔道部監督ということで堅いインタビューになるかと思いきや、「スローガンは選手に決めさせている」「坊主頭は理屈が分からないから止めた」「できるだけ長く選手といたいから学校の隣に家を建てた」…など、驚きの発言の連続。
まさに柔道界に革命を起こそうとしている向江村監督が目指す真の『選手主体』とは何か、そして『Atleta』活用成功までのプロセス、そしてこれから目指す柔道部について、余すところ無くたっぷりお話しいただきました。
 
  スローガンは『雲外蒼天』 
 はじめに近江高校柔道部のチーム構成を教えてください。
 ご夫婦で指導って素晴らしいですね。
 チームスローガンを教えてください。
 
  『坊主頭にしたら強くなる』という理屈が僕には分からない 
 スローガンの決め方もそうですが、「選手主体」でのチームづくりをされているのですね。
 柔道はどちらかと言えばトップダウンな文化が強い印象がありますが、そういった印象を変えていこうといった狙いがあるのでしょうか。
 このような変化は監督に就任されてから始められたのでしょうか。
 様々な変革をされているようですが、今の形に行き着くまでには相当なご苦労もあったのではないですか。
 
  柔道教室は高校生が指導する側に立つ機会にもなる 
 地域貢献活動の一環として『小学生・中学生近江高校柔道教室』をされていますよね。活動内容や目的を教えてください。
 現役選手・将来の選手、双方にとってメリットがある教室なのですね。
 チームの選手は全国から集っているのでしょうか。
 今年のインターハイ滋賀県予選で団体優勝できたというのは更に凄いことですね。
 
  「自分たちは弱い」ってことを重々理解した上で10倍努力を貫いてきた 
 ここからはそんなインターハイのお話を伺いたいのですが、まず今回の結果は想定通りだったのでしょうか。
 努力を継続できたことが勝因として大きいのですね。
 優勝した時の選手たちの様子はいかがでしたか。
 団体優勝と個人でも2名優勝しましたし、来年以降も近江柔道部、楽しみですね。
 
  僕が彼らを下から支える形のチーム。24時間365日柔道の指導法を勉強。 
 長く『Atleta』をご利用いただいていますが、導入のきっかけを教えてください。
 一人ひとりと話す時間は大切ですがその分時間がかかりますからね。
 『選手を僕が下から支えるチーム』というお話がありましたが、そういったチームを目指される理由は何でしょうか。
 向江村監督の学生時代からの経験が今の指導スタイルに繋がっているのですね。
 
  我々は強豪チームだとは思っていませんし、自分たちが天狗になって一回でも満足したら終わりだと思っています 
 『Atleta』では高い入力率を長きに渡り継続できていますね。
 具体的にどんな声掛けをされますか。
 コメントの内容は書き方などルールを設けたりされているのでしょうか。
 技術指導以外に時間をかけているのですね。強豪校のイメージとは真逆でした。
 コメントに関して他に特別な指導などされていますか。
 他の選手のコメントを共有するというのも選手たちにとって刺激になるでしょうね。OBとの関わりも深いですか。
 
  純粋に楽しいのと柔道が好きなのと母校が好きというところがエネルギー 
 選手との日々のコミュニケーション回数は多そうな印象ありますが、どのように時間を作られていますか。
 ええ!?そこまでされたんですか!
 
  柔道着脱いだ後に何を残すかを考えた時、この発信力というのは重要 
 『Atleta』を導入して、チームに何か変化はありましたか。
 『Atleta』を続けることで発信側に回れるようになるというのはとても良い傾向ですね。
 
  『自主性に任せている』ってチームのほとんどは『自主性』ではなく『放置』 
 お話を聞いていると、発信力が付いてきたからこそ、選手主体のチーム運営ができている気がします。
 選手たちにとっても『Atleta』での発信を続けて主体的に動くことで向江村監督に見てもらえていることの実感を得られる、だから頑張れるんじゃないかなとお話を聞きながら感じました。
 
  最強じゃなくて最高のチーム 
 最後に、今後の目標や取り組みを教えてください。
 近江高等学校(おうみこうとうがっこう) 柔道部
向江村 和也(むかえむらかずや) 監督
<チームの情報>2022年9月現在
部員数:21名
指導者数:2名(監督、コーチ)
Atleta導入時期:2019年4月
※CLIMB DB 2017年9月〜
<チームの主な成績>
2022年インターハイ (7年ぶり20回目)
団体ベスト16、個人100kg ベスト16・100kg超ベスト16
→団体戦20回目、個人戦としては34年連続インターハイに出場